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2005/10/30 sTwo
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特集#03 - 漫画研究団体アトラスとは!?
士郎正宗氏が 『アップルシード』 で漫画家としてプロデビュー(本人はプロではないと言っているが・・・)する以前、 本格的にマンガを描き、公表する場がありました。それが 「漫画研究団体アトラス」 というサークルです。 各誌メディアで見られる士郎氏のプロフィールでは、 「同人誌アトラスで〜」 とよく紹介されていますが、その詳細を知るファンは多くないでしょう。
そこで、今回の特集では 「漫画研究団体アトラス」について取り上げてみたいと思います。
士郎氏のアマチュア時代を垣間見ることができる・・・
2005/02/13 sTwo
CONTENTS
1. アトラスの歴史 2. アトラスのメンバーについて 北奥秀樹 / 杉原貴和 / 永松勝己 / 那須野大介 / ぴゅあ / あきら / 秋本ルネ / 伊藤浩二 / 鋼鉄はがね / ( 星野之宣 ) 3. アトラスの発刊物 - 同人誌『ATLAS』 - 同人誌『ぱて』 - 同人誌『EZO ATLAS』 - イラスト集 - 合作 - 個人誌 - その他 |
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1. アトラスの歴史
時代は 『宇宙戦艦ヤマト』 によるアニメブーム真っ最中の 1977年(昭和52年)、
兵庫県尼崎市の市立尼崎高等学校が舞台となります。
当時高校2年生の北奥秀樹氏と杉原貴和氏は、クラスメートでもありました。 北奥氏は前年にSFマガジンに連載中の漫画 『グランドマーク』(スタジオぬえ作品)を見て以来メカデザインに興味を持ち始め、 杉原氏はというと・・・地学部の部長でした。(^^ その地学部の先輩が漫画同好会に所属しており、秋の市高祭(文化祭)の時に地学部の部室の前の通路を使って、アニメ上映会やイラストの展示即売会を催しました。 結果としてそこへアニメに興味を持っている者がほぼ一堂に集まり、後のアトラスの主メンバーとはここで出会うことになります。 市高祭後、山本京嬢が主催するアニメサークル 「コスモス」 の存在を知り、その主メンバーはサークルへ入会するのですが、 創作活動を行いたかったメンバーはヤマトのファンサークルだったコスモスとは相容れられず、すぐに脱会してしまいます。
その後 1978年4月に兵庫県西ノ宮市で開催されたイベント 「コミックバザール」 に触発され、
ついに 1978年7月、那須野大介氏を編集長、永松勝己氏を会長とするサークル 「アトラス」 が誕生します。
最初の発刊物 『ATLAS』 はイラスト特集号ということで Vol.0 となり、またメンバーは皆ストーリー漫画を描いたことが無い漫画未経験者の集まりだったため、
アトラスは "漫画研究団体" という肩書きが付けられることになります。 この時のアトラスの主メンバーは皆高校3年生という、一般的には大学受験で忙しい時期なのですがね(笑)
ちなみにアトラスという名前はギリシャ神話に登場する巨神が由来で、 「大きくなろう!天空をも背負える力を持とう!」 という気持ちが込められているそうです。
アトラスは世界の西の端を背負っているので、関西を背負うという意味も含まれているのかな?
・・・でも最終的にはペルセウスからメドゥサ(ゴルゴオ)の盾によって石に変えられてしまうのですが・・・今の活動休止中の事が予言されていたとか(笑)
- そして最盛期へ -
アトラスの主メンバーが無事高校を卒業し、舞台は 1979年(昭和54年)の大阪芸術大学へと移ります。
この年、サークル 「コスモス」 の山本京嬢が "あきら" のペンネームでアトラスに参加するようになりますが、
その山本京嬢と同じ 関西女子美術短期大学 に通っていた秋本ルネ嬢も、引力に惹かれるがごとく参加することになります。
そう、この秋本ルネ嬢が士郎正宗氏の姉ということです。
結果として山本京嬢が秋本ルネ嬢を巻き込んだように、秋本ルネ嬢も士郎氏を巻き込んでいきました。
この時、杉原貴和氏は大阪芸大2年生、士郎氏は同じ大阪芸大の1年生です。
士郎氏がアトラスに参加したのは 1980年11月の 『ATLAS Vol.7』 からですが、実質この年以降からがアトラスの最盛期と言えるでしょう。 さらに翌年、鋼鉄はがね氏の参加によりその勢い(変態度?)は加速を増していきます。 士郎氏の作品 『黄金炎柱祭』 はその完成度から多くの読者を魅了し、 アトラス主メンバーの連載作品(あづみ悠氏の 『レッド・シリウス』、チビッコギャング氏の 『グリーン・リベンジ』、杉原まさし氏の 『スターナート・ユウ』)が終了後はアンケートでの人気が士郎氏に集中する結果となり、 次第に 「アトラス」=「士郎正宗」 という図式が出来上がってきます。 1982年後半に入ると、士郎氏の個人誌 『ブラックマジック』 のためにアトラスの主要メンバーがほぼ全員アシスタントに駆り出されたり、 その主要メンバーが大学を卒業し社会人になった関係で、アトラスの発刊物がストップしてしまいます。 一応 『ATLAS 12』 が難産の末 1984年3月に発刊されますが、以後続刊の発表は無かったようです。
そんな状態を危惧してか、「作者に3日間しか執筆猶予を与えずスピーディかつアグレッシブな同人誌」 をコンセプト(?)として、
1984年3月に "アトラス緊急増刊号" の 『バトルコミック ぱて』 が発刊されました。
この 『ぱて』 は途中にイラスト集 『どろしぃ』 を挟みながら 1987年 『ぱて 6』 まで意欲的に発刊されますが、
その後は 1990年の合同誌 『アトパス』 を除いて創作活動は休止となりました。
- もうひとつのアトラス 「札幌支部」 -
1979年某書店の企画で、大阪の同人誌を北海道に紹介するイベントが催されました。 その年にアトラスに入会した北海道の2名の女性会員がきっかけとなり、1981年にアトラス札幌支部が開設されます。 当初の札幌支部の会員数は12名でしたが、内女性会員が10名と、本部とは多少毛色の違う(?)支部だったそうです。 その後札幌支部でも同人誌を作成したいということになり、1984年11月に 『EZO ATLAS 1』 が発刊されます。 これはSF色の濃い本部の 『ATLAS』 とは違った、どちらかといえば少女漫画寄りの同人誌です。 本部の主要メンバーもいくつかイラストを寄稿していますが・・・ そんな札幌支部も 1987年11月15日に 『EZO ATLAS 6周年解散号』 の発刊を最後に解散してしまいます。 解散の原因は定かではないですが・・・当時主流であった "アニパロ" ではなく、オリジナル創作のサークルとして存続が困難だったのではないでしょうか?
●補足:
『グランドマーク』 は早川書房刊行の雑誌 「SFマガジン」
の 1976年 8月号から 1977年 5月号まで連載されていた漫画です。
この作品は 「SFイラストの世界 スタジオぬえのすべて (ファンタスティックコレクション No.8)」 (朝日ソノラマ/1978年) に第1話(1976/8〜12)が再録されています。
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2. アトラスのメンバーについて
まずはこの 「漫画研究団体アトラス」、 士郎正宗氏以外にどのようなメンバーが活動していたのか? というところをご紹介しましょう。
なんとこのメンバー以外に、 あの言わずと知れた日本のSF漫画家である星野之宣氏が、
1980年11月30日にアトラス名誉会員ということで登録されています。
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3. アトラスの発刊物
1978年の設立以来長年にわたって創作活動を行ってきたアトラスですが、実際にはどれだけのものが発刊されているのか? ということで簡単ですが纏めてみました。 抜け等ありましたらゴメンナサイ・・・
士郎正宗氏のコミック 『黄金炎柱祭』 が連載された伝説(?)同人誌 『ATLAS』 。 Vol.2 から同人誌ご用達の印刷所 「大友出版」 との長い付き合いが始まります。 黄色系の表紙が多いのは、当時まだカラー印刷の同人誌が少ない中で一番視認性の高い紙色、という狙いがあったそうです。 表紙は全て北斗秀樹氏の作品。
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『ATLAS』 の発刊が停滞気味な中、気分転換(?)として発刊されたアトラス緊急増刊号 『ぱて』 。 執筆者に3日間の猶予しか与えず、そのあまりにも早い締め切りに対する怒りにも似た感情を作品に込めさせる、 という所以で "バトルコミック" というらしいです。 当時メタルカラーの印刷が流行ろうとしている中、率先して実験的に表装に使用したのが 『ぱて1』、 『ぱて2』 です。
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北海道地区の女性会員を中心に、1981年に開設された漫画研究団体アトラス札幌支部。 1987年に解散するまでに合計4冊の同人誌を発刊しています。 執筆陣の大半が女性であるため、少女漫画チックな同人誌となっています。
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アトラスの歴史の中で、過去にメンバー間での合作や、他サークルとの合同誌に何度かチャレンジしています。 しかし成功したのはわずかで、ほとんどは企画倒れに終っています。 発売日の遅延や企画の消滅はアトラスではよくあった事だそうで・・この辺は士郎氏に通じるものがあるなー(笑)
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アトラスは主要メンバーが印刷費をワリカンで拠出していたため個人誌を発刊することは無かったのですが、 士郎正宗氏の 『マジックキャラバン(ブラックマジック)』 は 杉原氏のプッシュもありアトラスメンバー協力の下、みごと発刊となったのでした。 ブラックマジック関連としてはこの他に 「予約用チラシ」 や 「価格訂正チラシ」、 「同封チラシ」、 「予約特典ポスター(黒)(白)」 などがあるのですが、 それはまた別の機会(ブラックマジック特集)に。
鋼鉄はがね氏の個人誌は完全な自費出版ですが、「アトラス コミック」の名を騙り(失礼)発刊しています。
その中でも 『ちゅっぱちゃぷす』 など何冊かはアトラスメンバーの小椋彩氏と協同で出版しています。
さすがに 『ちゅっぱちゃぷす』 はアトラスからOKが出ていなかったようですが(笑)
実は杉原まさし氏も個人誌 『SARIN』 の発刊を1983年8月に予定していたのですが、下書きまで終った段階で結局日の目を見ることは無かったのでした・・・ うーん、未完に終っている 『大陸帰行』 の続きでもいいから読みたかったなぁ(^^;
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アトラスは同人誌だけでなく、便せんやレポート用紙、カレンダー等を作成して各地の即売会で販売していました。 カレンダーについては年内にあまり売れなかったため、年明け以降は日付が入った下半分を切り取り、イラスト集として販売していたそうです(笑)。 ちなみに士郎氏はサムライの月(十一月。 "十" と "一" で士郎の "士")のイラストを担当しています。
鋼鉄はがね氏に影響をうけ、1985年に発足したアトラスのツーリングクラブ 「納曽利倶楽部(命名:士郎正宗)」 のトレーナー。
アトラスには会員向けの連絡誌として、会報 『KINTALION』 を 1979年から発行していました。
最後に、クサレ縁(笑)だった大友出版関連の物を。
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